73年前


今朝も5時過ぎにはマリーナへ。

今日も暑そうです。

天気予報の女性キャスター?が週末は30度になり秋の気配だと・・・?

現代の30度は秋か・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

73年前の今日。

1945年8月15日正午。

人々はどんな空を見て、どんな未来を考えたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

昭和天皇がポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争の無条件降伏を告げる。

玉音放送がラジオで全国放送された日。

 

 

 

 

 

 

 

私は、世界の情勢と日本の現状を深く考え、緊急の方法でこの事態を収拾しようとし、忠実なるあなた方臣民に告げる。

私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。

そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。だが、戦争はすでに4年も続き、我が陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちも職務に励み、一億臣民も努力し、それぞれが最善を尽くしたが、戦局は必ずしも好転せず、世界情勢もまた日本に不利である。それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。そのようなことになれば、私はどうして我が子のような臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪できようか。これが、共同宣言に応じるよう政府に指示した理由だ。

私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。また、戦争で傷を負い、戦禍を被り、家や仕事を失った者の生活も、とても心を痛めている。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。

私はここに国体を護ることができ、忠実な臣民の真心に信じ、常に臣民とともにある。もし、感情のままに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士が互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

4日後の8月19日。

敗れてもなお、守るべきものがある!

神州不滅特別攻撃隊!

國敗れて山河なし
生きてかひなき生命なら
死して護国の鬼たらむ

本や映画、ドラマにもなりました。

本当の事、言えない事、大人の事情・・・

現代もそうだが、爺になればなるほど自分の主張しかしない・・・

年下や若者は意見さえ言えない。

愛する家族の為に10代半ばから20代の若者達が多く散った・・・

若いのに・・・凛とした精神性。

 

 

 

 

 

 

先進国へと?物質的なモノは得たかもしれない。

 

 

 

 

 

 

精神性や道義、民族・国家意識はどうだろうか?

 

 

 

 

 

 

大人達、爺達、役人達、自分に問う・・・